HONDA CL 72





ホンダCL72(シーエルナナニイと読む)とはなにか?
マニアなら、誰でも聞いたことのある名前なんだけれど、実際に見たこともないという
人がいて当然というほど時が経ってしまった。



排気量は250CC足らず、輸出がおおかったけれど305CCのCL300というのも
あった。車検が必要になるのでほとんど乗っている人はいなかったが(当時の車検や保険はとても高かった)
高校の仲間に一人だけCL300に乗っているやつがいた。
彼は高校2年の夏休みに友達を乗せて事故して大怪我をした。
ヘルメットは持っていたが後ろの友人に貸していたために友人は軽症だったが彼は頭蓋を骨折し体中の
骨と神経がずたずたになる瀕死の重傷だった。
しかし、彼は奇跡的に夏休み明けには通学してきた!
しかしその姿はフランケンシュタインに近かった。
リハビリにとクラシックギターを教室でかき鳴らすのだがなまじのバンドやっている連中よりうまかった。
空手有段者の彼は医者も奇跡と言う回復を遂げる。

これが僕の高校生時代にのこる唯一のCLの記憶なのだ。
もともと国籍が中国人だった彼は日本に帰化し親の事業を何倍にもしているそうだ。
同窓会で久しぶりにあうと、
「お前はすごいよなあ、俺は買うばっかりでまるでいじれないよ。」
「バイクは21金メッキにしたハーレーがあるぜ!」

とヤツは言う。高校生時代のあだ名は「金ゴリ」
金星から来たゴリラのような丈夫なヤツと言う意味だった。


この小さめのタンクと直管に消音パイプを入れただけの排気管がウリだ。ビチビチビチとはじけるような音がする。





排気管は左に二本。ダートレーサーのイメージなんだろうか。分類としてはダートマシン。
当時本物のダートマシンは無かった。モトクロスはこれを改造するしかない。
もちろん、これをジャンプさせたり、大きな岩や絶壁をよじ登るのもこれの仕事だ。
どのくらい昔のライダーは体力があったか?わかる。



右のシート下にメインスイッチがある。オフ、オン、パーキングの順番だ。


CL72にはタコメーターはない。オフ車にタコはいらないということだ。ヤマハのDT1には小さめのタコが付いていてかっこよかった。
控えめの速度がかいてあるけれど、一般道路では80キロもだせば十分だ。音と振動で続くものではない。



このエキパイの曲がりがチャームポイントだ。



すね打ったら泣くな。これが純正のステップ。



バーの付いたハンドルがオフ車の印。ツーリングにでれば必ず砂利道があった。
ダート系のロードマシンは人気があった。



メッキのパイプがまわっていてかっこよし! キックはCB72がステップの関係で前にキックするのだけれど




フレームはCB72(ロードタイプ)とは違うクレードルタイプ。



セルは無いというよりも、取り外して発売されていた。昔のセルなどバッテリーの性能が悪いのでエンジンが温まってから
しか使えないようなものだった。うっかり冬場にセルで始動を試みて出かけられなくなるということも冗談ではなかった。




古いバイクを買うとたいていは錆に悩まされる。
タンクに腐ったガソリンが長い間残っていたら錆は深いと思っていい。
レストア済みとかのふれこみでも、レストア後10年も経っている場合は
まったく信用なら無い。ということはキャブも詰まっているということだろう。






タンクが腐食していたのでリプレース品の新品に交換した。
なぜか左右の連結のパイプが付いてない。へったらゆすれということか。

古いガソリンタンクは錆が堆積している。コックは錆で詰まっている場合がほとんどだ。取り外してこの穴の掃除をするのだ。

このCLも詰まっていた。ははんと取り外して掃除にかかる。
30年も前にやった作業を体が覚えていた。ホンダはこのコックを多く使っていた。
手がどんどん進むので思わず笑ってしまった。




錆と言えば、鉄のリムにも錆があった。鉄のH型リムが装備されていた。
アルミの間違いではないかと思ってしまうが、丈夫さと言うことで鉄のH型リムとなったのだろうか。
茶色になった深い錆には「花咲かG」を使った。
塗るだけでよいのだが、浅い錆にはブリジストンから出ているチューブ式(自転車屋においてある)の錆落としの方が早くて簡単だ。
この「花咲かG」はクロームのメッキにはいいのだが、亜鉛メッキのスポークなどは黒ずんでしまうので、使うところを間違えないようにしたい。


ということで走ってみた。
よく回るいいエンジンだ。昔僕が乗っていた72のエンジンよりもずっといい。
静かでアイドリングも安定している。いいものを手に入れた。

CB72などは名車と言われている。
それに異論はないが、60年代の終わりの頃ころには大量のCB72が残っており
どれも時代遅れの印象はぬぐえなかった。
解体屋には実用車のC72などが積みあがっていて
そこから部品を手に入れるなどと言うことをしてた。
こずかいの範囲でバイクにのるということはそういうことだ。(バイトの時給は100円。あははは)

高校生時代に250CCに乗る。そもそもバイクに乗るなんてことは結構贅沢で少数派のすることだった。
750CCのバイクが出てくるのが、たしか68年ごろだったか。
CB,CL72の後継機のエクスポートタイプが人気ではあったが、どうもなじめなかった。
徹底したコストダウン、プラスチック部品の多様。そのへんからどうも
ホンダとの縁が切れていったようだ。

しかし、僕にもホンダに恋していた時期があった。
それが、この時代というわけだ。

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