続・三丁目の夕日 陸王エキストラの巻

平成19年4月14日土曜日 快晴 於 晴海埠頭








自衛隊の訓練船が係留されていた。






3月のある日友人から電話がかかって来た。 荒川のお茶屋の龍介こと増田龍介氏からだ。


「あのさあ、陸王って動くんでしょ?」

「勿論、だけど今は車検整備に出したっきりなかなか戻ってこないのよ」

「4月の14日土曜日なんだけれどさあ、映画の撮影に出て見ない?」

という誘いの電話だった。

彼は、ダットサン1000のオーナーに乗って前作の映画「三丁目の夕日」に出演している。



出演?! ッて言うのもなんだけれど・・・・


と言うのは、ちゃんと映画の最後の方に名前が出ているし、主役の後ろの方で車を走らせていたからだ。

物好きな方は、DVDの協力者のネームを目を凝らして探して見て下さい。



それで、彼が言うには僕の陸王で映画のエキストラに出てみないかと言う事だった。

ちょうど、陸王は車検整備に出しているところだったし、4月の半ばには出来上がってくるだろうと思い

二つ返事で快諾したのだった。 僕はあの「三丁目の夕日」と言う映画が大好きなのだから、自分の陸王が

ちょっとでも映ればこんな、いい思い出になるだろう。


いい思い出と言うのは、僕の手元にやってきて、そろそろ30年。

正直いつまでこれを維持できるのか、パーツの供給や保管場所や経済的なこと

様々に不安な事があるからだった。 





正直、「面白そうだねと」僕は引き受けた。









ホンダのC100と ナンバーが昔風に取り替えてあった。

ここまでは、整備をしてくれていた 草加の「松原自動車」から製作会社が運んでくれたのだった。

つまり、仕上がるのがぎりぎりで、取りに行く事が出来なかったからだ。

気が付けば左右のバックミラーの形が違う。 

ミラーはもちろん、ウインカーなど取り外してしまいたかったのだが・・・









長男と陸王。  彼はゲームが大好きな子供だった。

大人になったらアニメーター、そしてゲームクリエーターになっていた。

映画撮影に興味があったらしく、付いてきた。

彼がおなかの中にいるころに、陸王はすでに僕のところにあった。

まったくの、不動車で彼が5ヶ月くらいの時に、「松原自動車」からレストアが済んで届けられたのだった。

あれから、もう30年近くたってしまった。  当時の僕はまだ25歳、彼よりもまだ若かった。








左右違うミラー。右がハーレーのもの。左が富士重工のバイクのものだという。







「続・三丁目の夕日」は19年の11月に公開されるらしい。

昭和34年の設定という事で、当時走っていた車両が集められた。

全車 実動状態であり、当時の新車はピカピカな状態ばかり。

ヘタなクラシックカーミーティングより、どれほどか程度がいい。

なによりも、50年代の車両を実動で集める事がなかなか難しいからだ。

僕の陸王は1958年製、昭和34年当時は当然まだ新車のころだ。






オリエント号 と言う、終戦直後のオート三輪。サイドバルブのシングルが乗っている。

とんとんトンとのどかに走っていた。いや、必死に走っていたのかも知れない。












役柄は「氷屋さんのダイハツミゼット」 なのだが、聞いたらオーナーは本当に氷屋さんで

昔、これで商売をしていたというから驚いた。






当時の高級車 クラウンとそのバンタイプ

初期型のスバルを持ってくるところが凄い。






プリンス自動車(後に日産と合併) これがスカイラインの元祖か?

アメ車的デザインでクラウンよりもちょっとゴージャスな高級車だった。







イギリスのMGマグネットと言ったか? 中身はMGBのスポーツカーに改造されているのだと

オーナーの小林さんは言っていた。 ここで小林さんに会うとは思わなかった。

タイムトンネルや二輪のイベントではお会いする事がなんどかあった。

年式もぴったり、新車のようでした。








これは珍しい、トヨタのトラック。 高級な感じのトラック。 よく残っていたものだ。







黄色の服の方のモーリスマイナーのボンネットを覗き込んでいる皆さん。

待ち時間が退屈で、旧車ミーティングになっている。オーナーはスリランカの人だそうだ。

右はダットサンの初期のモデル。





昼食を用意してくれたスタッフの方々。

当日のランチは「タコスライス」ということだった。













さて、助監督さんから 午後の撮影と練習の詳細説明をうけるところ。

場所は、三丁目の大通りと言うことだ。


季節は冬、撮影は夕方のシーンだと言う説明でした。

彼に従って、なんども練習を繰り返した。









このカメラを乗せた車で上から俯瞰して撮るのでしょう。







だんだん、夕日が迫ってきます。















大通りを左右から行き交う車の列・・・というところだ。

ちゃんと、車の並ぶ順番や、車間距離などを決めてある。

陸王は大きなバイクだから、センターよりの車線を車より速く前に走らせて下さいとのこと。





昼間から、なんども練習を繰り返す。

エンジンがかからない車両があれば、練習も始まらない。

だから、いっせいに走れないような車では困るのだ。

幸い、陸王はキック一つで、なんどでもエンジンはかかった。



4時から、冬の衣装をつけて日が落ちたら撮影と言う事だった。

車の人は、ネクタイや帽子、ジャケットなど支給される。


オート三輪は作業服らしきもの、カブはそれなりの軽装で。

陸王はハイネックにダブルのショートコートを貸してくれた。


ヘルメットや帽子の支給がないので、持参の飛行帽子とゴーグルを被った。


衣装係の人にこれでいいかな?というと ぴったりです!とOK。







時計は5時を回る、 だんだん夕日がビルの谷間に沈んでいく。

エンジンをかけて、スタートの合図を待つ。


ヘッドライトなどを点けて、三丁目の夕日を待つのだった。








沈んだかと思うと、「スタート」の号令。


何度も練習したようにいっせいに走り出す。


二度同じ撮影を繰り返してOKが出た。わずか10分ばかりの撮影だった。


映っていても、3秒も映れば上出来。

さあ、どうなる事でしょうか。


「はい、OKでーす」


助監督の声に、ぱちぱちと拍手が起きる。

あー・・・一日ご苦労様でしたと。










小林太三さんと記念写真。


いつも明るくて素敵なおじさんだ。











ほとんどのオーナーはナンバーを取り替えて、自走で帰ったようだった。

僕も、息子と別れて練馬の実家まで自走で帰ってきた。

乗るのは、7年ぶりくらいだったろう。

不思議とハンドチェンジもなにもかもからだが覚えている。



撮影中に古い車の間をすり抜けると、本当に50年代に戻ったかのようだった。

お土産に貰った手ぬぐいには「鈴木オート」と染め抜いてありました。


続編を楽しみにしましょう。



















DVDが発売になって、メイキング版が付いた豪華版が売りに出された。 それを娘が誕生日に贈ってくれました。

そのCGのメーキングの最後にでてくる、なにも無い晴海の駐車場での撮影シーンです。

アングルは、このままでチンチン電車の前の方をバイクがどどどどーっと音と共に3秒間ばかり走りました。

陸王仲間が、どこに出ているんだ?と言う事でしたが、終わりの10分くらいに東京タワーが出てくる3丁目の大通り

その夕暮れのシーンで使われました。画像は小さいですが、陸王の排気音が姿が消えても響いていました。2008.10.3追記

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